当科について
教室の歩み
1901-1906年
初代 吾妻勝剛教授
1899年に京都帝国大学医科大学が開設され、助教授に就任し婦人科学・産科学教室の創設に当たる。1901年より教授に昇任する。
1906-1921年
2代 高山尚平教授
子宮癌の手術に情熱をもち、より広汎に子宮を摘出するために術式の改良を重ねる。1917年に京都で開催された第15回日本婦人科学会総会においてWertheim術式を改良した高山術式を発表し、実際の手術を供覧する。この術式は本邦での広汎性子宮全摘術の基礎をなす。京都大学医学部婦人科学産科学教室の基礎を築くとともに、1915年には緒方正清先生と近畿産婦人科学会を発足させる。また、1912年に発足した教室同窓会「温知会」初代会長を務める。
高山教授時代の京大病院
11病棟 婦人科
12病棟 産科
1922-1937年
3代 岡林秀一教授
1928年に高山術式を改良した岡林術式(系統的広汎性子宮全摘出術式)を発表する。基靭帯の組織を多く切除することによる根治性の向上、膀胱子宮靭帯の前層と後層の分離・切断による意図した高さでの膣管の切断を実現し、本邦における子宮頸癌手術の標準術式となる。全国から子宮頸癌患者が集まり、病院長の重責も担う。教室の黄金時代を迎え、1937年外国での子宮癌手術の成績発表、映画上映が予定していたが、諸事情により辞職。岡林術式の世界標準術式化のチャンスを逃す。
岡林教授 講義風景
岡林教授 回診風景
岡林教授 手術風景
婦人科学産科学(産婦人科専用)病棟
分娩室
教授室
沐浴をする助産婦
母子像(現在北病棟2階 産科分娩部)
1938-1961年
4代 三林隆吉教授
基靭帯基底部に浸潤した子宮癌に対する超広汎性子宮全摘術を考案し、1941年第39回日本婦人科学会総会で映画報告をおこなう。婦人科領域における電子顕微鏡的研究、光線の生物作用、胎盤蛋白の研究を旺盛に進める。
1961-1981年
5代 西村敏雄教授
妊娠中の糖質・脂質代謝と妊娠中毒症に関する研究、妊娠中の循環動態に関する生理学的研究、下垂体・卵巣の内分泌学的研究、排卵現象の形態学的研究、子宮筋腫の発生要因に関する研究などを発展させる。
外来棟
1982年
6代 東條伸平教授
子宮頚癌手術に関する種々の改良を行うとともに、胎盤蛋白に関する内分泌学的研究を発展させる。
ポリクリ風景
1983-1997年
7代 森崇英教授
生殖内分泌学・生殖免疫学の進歩に貢献し、体外受精を含めた生殖医療を発展させる。臨床では、外来診療を4診制(1診:学生実習、2診:産科管理外来、3診:婦人科管理外来、4診:妊孕外来)を基本とし特殊外来として遺伝外来、思春期・更年期外来を新設した。さらに新診療体制として体外受精を導入した。また同導入に先立ち、京都大学医の倫理委員会設置を提案し、設置後の1985年に第1号事案として「ヒト体外受精卵子宮移植法による不妊治療」が承認される。その後1986年体外受精胚移植法、1988年凍結胚保存、1994年顕微授精を導入した。
研究面では、発生学、腫瘍学、周産期学、生殖内分泌学および生殖免疫学の5研究室を立ち上げ、産婦人科研究の国際化(国際学会での発表、論文作成)に尽力した。学会活動では、1986年第5回日本受精着床学会主催、1993年第8回世界体外受精会議(世界44か国から参加)主催、1997年日本不妊学会理事長ほか多数を歴任した。同門会では、岡林秀一教授生誕百周年記念式典開催、教室関係病院代表会議の設置を行った。
1997-2007年
8代 藤井信吾教授
「考える産婦人科」「言い訳を言わない医療」を産婦人科医の行動規範に掲げ、質の高い産婦人科医を育成するため臨床、教育、研究に情熱を注ぐ。子宮筋腫を中心に婦人科腫瘍の研究を発展させる。膀胱子宮靭帯および膀胱機能を支配する神経の解剖学を究め、再現性のある安全な広汎性子宮全摘術を考案し、出血量の極めて少ない、膀胱神経温存術式を実現する。2007年京都で開催された岡林教授記念広汎子全摘術国際シンポジウムでその成果を手術映像で供覧する。国際的視野にたち、Annual Review Courseon Gynecologic Oncology and Pathologyを立ち上げるほか、米国、ドイツ、カナダの学会とも積極的に交流を推進する。その一環として設立した交流事業ACOG/JSOG Shingo Exchange Programは、次代を担う若手産婦人科医師の育成に寄与している。
2007年-2015年
9代 小西郁生教授
「世界に通用する研究、臨床」をテーマに、婦人科腫瘍、特に卵巣癌におけるPrecision medicine「卵巣がん治療のゲノム個別化」の研究を発展させる。さらに周産期医療、生殖医療分野では、院内に2015年高度生殖補助医療センター、周産期母子医療センター(MFICU)の開設に尽力した。社会活動としては、日本産婦人科学会では、2009年常任理事、2011年理事長に就任し、子宮頸がんワクチン勧奨、母体血胎児染色体検査(NIPT)に対する指針作成などに尽力した。日本癌治療学会では、2015年学術集会長として第53回日本癌治療学会学術集会、第3回アジア臨床腫瘍学会学術集会(FACO)、米国臨床腫瘍学会(ASCO)、欧州臨床腫瘍学会(ESMO)とのジョイントシンポジウム、Cancer Month Kyoto 2015を同時開催し、学会史上初めて、のべ1万人以上の参加者を集めた。また日本専門医機構では、2015年副理事長として専門医制度改革の中心的役割を果たした。ほかに、日本医学連合理事(2015年~)、日本医学会臨床部会運営委員会委員(2015年~)、厚生労働省医道審議会専門委員(2004年~)、同がん対策推進総合研究事業評価委員会委員(2015年~)など多数兼任。